スモッグ濃き北京
2.北京
北京市内北海公園の石舟の前で、同僚のワンリン(左)、リー(右)とともに
包頭への行き帰りに北京に寄った。時1月、雪の降る寒い日だった。北京の市街は近づく春節の祝いに人々の希望と喜びが隠し切れない感じで、少なからず沸き立っているように感じられた。中国経済全体が、SARSというマイナス要因にも拘らず2003年に9.5%という驚異的な経済成長を達成し一見順風満帆のように見える中で、農村部からの労働力供給圧力の高まり、再就職率が次第に鈍化しつつある下崗労働者問題など公式の失業率4.3%(2003年末)には現れない深刻な事態が垣間見られる。下崗労働者を加えるだけでもその総数は1400万人であり、さらに2004年に新たに労働市場に加わる1000万人を足すと24000万人に達する。これに登録されていない無業者を加えると、2004年には実際の失業率は15%を上回るのではないかという有力説(人民大学、曾湘泉教授)さえもある。
セーフティーネットの実態はどうか?かつて手厚い保護で名高かった国有企業の福祉制度は国有企業自体の解体と共に音を立てて崩壊しつつある。新たに発足した年金、医療、失業の3社会保険の加入者は2003年で、年金が1.53億人(前年比614万人増)、医療が1.53億人(前年比1247万人増)、失業保険が1.29億人(前年比108万人増)であった。労災保険については、2003年末までに6000万人に達する見込みである。問題は制度発足直後からの急激な受給者増で、合理的かつ有効なスクリーニング制度を持たないままこの趨勢が続くならば、いずれの制度も遠からず財政的に破綻するものと予想される。
中国では現在、経済が政治を着実に変えている。鄧小平主席が導入した「社会主義市場経済」は江沢民主席によってなお一層「社会主義」色を希薄にされ、基本的部分での強い中央統制という点を含めても、アジア諸国の中で最早、特に異色であるとは言えないほどになりつつある。2001年7月の共産党発足80周年記念大会における江沢民の「3つの改善」演説以降、なお一層この傾向が強くなり、現在では、かつては国家の「敵」とされていた資本主義の象徴とも言えるビジネスリーダーさえもが共産党への加入を認められているのである。
久し振りの王府井は、圧倒的な外観のデパート等の豪壮な外観のビルが増えて、最早平屋の土産物屋や食堂が所狭しと軒を連ねた何となく懐かしいような賑わいとは異なり、世界中どこにでもある単に雑踏で混雑しているというだけの繁華街になってしまっていた。そんなデパートの1つに足を踏み入れてみると、物がやたらに多い割に、内部の造りやレイアウトはどちらかというと雑で野暮ったく、ただ商品を並べているだけという、およそ魅力の感じられない様子だった。そう思って見ると、建物のあちこちには錆付いた金属が露出した部分があり、締め切ったままの店舗スペースもけっこうある。前に寄った世界貿易センターでも、欧米の高級ブランドの店は、お客の影は無く、ドレスアップした売り子が手持ち無沙汰に頬杖ついている姿が目立った。宿泊している北京飯店は、かつて共産党始め中央の幹部が出入りし、外国からの賓客が定宿として利用していたという輝かしい歴史を誇る格式第一のホテルだったはずである。しかし今では、客室の造りも古さだけがやたらに目立ち、全体に従業員の接客態度やレストランの料理の質の低下が著しい。
2008年のオリンピックに向けて急ピッチで改造が進む北京市では、市の中心部を取り巻く環状道路が外側に向かって既に5本目の完成を見ており、それに沿ってどんどん郊外に伸びている住宅地区から市の中心部への通勤は次第に困難になりつつある。かつて道路を占拠していた自転車は今や殆んど自動車に取って代わられ、交通混雑とスモッグはアジアの他の大都市の例に漏れず悪化の一途を辿っている。
北京にはもうかつて沢山あった「古くて良い物」は何も残っていないのかと遣る瀬無い感じになっていた私を、北京事務所のチェンさんは、「面白い所があります」と言って、そのデパートの非常口のような所から地下に案内してくれた。そこは信じられないよう別世界で、もうとっくに姿を消してしまったと思っていたかつての王府井の、判子屋、お茶屋、布製の靴を売る店、土産物屋、化け物屋敷、等などの小さな店が軒を並べた通りが再現され結構多くの人で賑わっていた。飴でくるんだ棗菓子を舐め一時お茶を楽しんで外に出た私は、さらに表通りの一歩裏側にも、臭豆腐の臭いがたちこめ、庶民でごった返す怪しげな通りが僅かながら残っているのを発見した。全体として兵士や公安の数が多く、上海などに比べ開放感に欠ける北京において、このような新宿西口の駅前繁華街タイプのスポットがいつまで残されているものかは分からないが、しばしの安らぎを感じさせてくれた。
北京生まれで北京育ちの友人でさえ、半年たって帰ると自分の家の近くにあったはずの建物が忽然として消えているのに驚くと言っていたくらいである。2008年のオリンピックまでに、市の中心部にある平屋建ての住宅は、完全に取り壊されると言われている。故宮や万里の長城のような巨大な世界遺産も良いが、名も無き庶民の住居跡というのも、私には何故か心引かれるものがある。
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